みなさんは、吊り橋を渡ったことがありますでしょうか?
今回は、「日本一怖い吊り橋」 の異名を持つ 「無想吊橋」 の横断風景を
本人視点で撮影した貴重な冒険動画を見た海外の反応です。

静岡県の山奥・寸又峡上流の逆河内川上空にひっそりとかかる無想吊橋は、
全長144m、高さ83mというスペックを誇っており、
足元を見やれば鬱蒼と茂る木々が丸見えです。

全国的にも有名な観光名所にして、度胸試しの聖地でもあります。
しかし、劣化が激しくなってきたため、現在では無想吊橋は正式に通行止めになっています。

予算の都合上、解体されずに放置されてはいますが、
随所に腐った板も見受けられるため、渡るのは非常に危険なので、
渡らないようにしましょう。

この動画では多くの外国人が投稿主が渡る様子を固唾を飲みながら見守っていたようで、
視聴後に多くの驚嘆のコメントを寄せています。

吊橋のスリルに感激する方もいれば、
なぜこんな危険な物を造ったのか理解できずに憤慨している方もいます。
彼らのリアルな反応を見てみましょう。


動画  携帯用動画


以下、この動画に対する海外の反応


■ うわぁ…。 アメリカ

■ どこに行けばこの悪夢を体験できるんだい? アメリカ

■ やべえよ…、やべえよ…。 国籍不明

■ マジかよ! 国籍不明

■ この橋を渡る奴はすげー肝っ玉してやがんな。 +24 国籍不明

■ 勘弁してよ。 +2 国籍不明

■ 冗談でも何でもなく、私だったら渡りきれずに途中で立ち止まってしまうよ。 きっと心が壊れてその場にうずくまり、戸惑う赤ちゃんみたいに泣きわめきながら救出ヘリコプターの到着を待つしかないね。 しかもその間、仲間たちに着替えを持ってきてもらう必要があるな。 特に下着は欠かせないね。(笑) 私の嘔吐物は吊り橋の下で生息している素朴な野生動物達の頭に降り注ぐだろうし。 高所マニアにはたまらないだろうけど、いつかこの吊り橋がニュースになるんじゃないかと不安でしょうがないよ。 +11 国籍不明

■ クッソつまんねー。 ルーマニア

■ 木材などの資源の節約は確かに大切だけど、もう少し多めに1×6サイズの踏み板を敷設できなかったのかなぁ。 その方が横断者にとっていいだろ? +23 国籍不明

■ 動画の5:57 ↓ の所を見て唖然としたよ。 橋のガイドが途切れてるじゃないか! この橋ってグーグルアースで確認できるのかな? イチバン怖い橋だね! +2 国籍不明
0527 turibashi001

■ 私にはきわめて安全なように見えますけどね。 チャド

■ 橋を渡りきるのもすごいけど(実際私には絶対できないことだし)、それにしてもどうやってこんなものを造ったんだろうな!!!!! アメリカ

 ■ re:アジア人のことだからね。 ロボットでも使ったんじゃないのかな。 カナダ

■ 私だったら這って横断するよ…。T.T 国籍不明

■ 股間が縮み上がるぜ。 国籍不明

■ 自転車で横断できっかな? アメリカ

 ■ re:お前、動画の4:30 ↓ のシーン見てなかったのかよ。 橋の板が欠落してんだぜ。 まぁ、誰かが挑戦するところを見てみたい気もするがな…。 国籍不明
0527 turibashi

■ すっげー。 死ぬまでに一度は挑戦してみたいな! メキシコ

 ■ re:私も同感です。 この橋がまだ残ってるといいですね。 マレーシア

■ 誰か金を払ってくれる人がいるなら俺も渡りきってやるよ。 カナダ

 ■ re:金を払う? 何のために? てめーの葬式代か? 国籍不明

■ 一体どんなサディストがこの橋を造りやがったんだ? 国籍不明

■ 動画の6:00あたりを見て、あやうく小便漏らしそうになって姿勢を正しちまったよ。 これを撮影した奴はすげー神経してやがるな。 マジ脱帽だぜ。 国籍不明

■ 一体何のためにこの橋はこんな場所に存在しているんだ? アメリカ

■ 夜中になったらこの橋からおしっこしてみたい。 アメリカ

■ 大金積んだって俺にこの橋を渡らせることは出来ねーぜ。 世界中の金をかき集めたって足りねーなw +2 アメリカ

■ 橋を渡りきるのはすごいことのように思えるけど、帰るためにはこの橋をもう一度渡らなきゃいけなんだよなぁ…。 冗談じゃないぜ! お前らそのこと分かってんの??? アメリカ

■ 一体どこのバカがこんな橋を設計しやがったんだ? アメリカ

■ うわぁ…、マジかよ。 橋を横断している人の正確な体重は知らんけど、日本人なら150ポンド(68kg)ぐらいか。 私みたいに230ポンド(104kg)クラスの体重の持ち主だったら簡単に谷底へ落下してるだろうなぁ。 動画の6分あたりで、橋の板が壊れてるのを彼が発見した時は本当に息が止まりそうになったよ。 いとも簡単にあの世まで転落できるからね。 この動画はCNNのウェブサイトで 「世界で最も恐ろしい橋の一つ」 として紹介されてたよ。 なにせ日本の辺鄙な山奥にある橋だから、詳細なデータはなかったな。 念のため、パラシュートを持って行かなきゃ。 アメリカ

■ まったく下らねーな! この橋はどう見ても安全じゃねーか、どうせ足元に安全ロープかなにか設置されてんだろ! 足を踏み外しても落下なんかしないって。 アイルランド

■ ジップラインに挑戦したくなったよ、ありがとう。 国籍不明

■ 「ヒャッホーwwwwww」って日本語で何て言うんだ? 国籍不明

■ 私はこの動画を 「トラベル+レジャー」 の 「怖い橋27選」 で知りました。 みんなすごい橋ばかりで、見ていたら引き込まれて少しばかりアドレナリンが噴き出してきましたよ。 アメリカ

■ 動画の6:00の所を見て、根性持ちがさらに勇敢になってすげえと思ったよ。 国籍不明

■ 呼吸困難になりそうだ~ フィリピン

■ 正気の沙汰じゃねーなw アメリカ

■ なんじゃ、こりゃw クロアチア
(ここまでプロのお仕事)



海外コメントとして強がる声などもありましたが、
動画を見るとその高さと足場の悪さが際立っており、
日本一怖いと言われるのも分かるような気がします。
風の強い日なんか壊れてなくても渡れないような気が・・・(笑)

場所 ↓

大きな地図で見る

ちなみに世界一長いつり橋は日本の明石海峡大橋で、全長3911mあります
(現在は違うかもしれません)
こちらの動画では、明石海峡大橋がどのようにして作られたかが説明されています。

明石海峡大橋 1/4  携帯用動画


明石海峡大橋 2/4  携帯用動画


明石海峡大橋 3/4  携帯用動画


明石海峡大橋 4/4  携帯用動画


この橋の支柱はいくつもの部材を継ぎ足して作るので
継ぎ足し部分の誤差の合計が最終的な誤差になってくるわけですが、
その接合部の誤差はなんとミクロン単位で検査されるとのことで、
このような巨大なものが非常に高精度で作られている事に驚かされます。

300メートル近い高さを持つ支柱の誤差がわずか5ミリなど、
その精度は10000分の1という精密さが要求され、
温度変化による誤差を極力少なくするために最終研削や計測は夜間に行なうなど、
橋づくりでも世界トップレベルの実力を持つ日本ならではの技術力と言えるでしょう。


非常に精密に作られたこの橋は1995年の阪神淡路大震災で地盤ごと動き、
長さが1,1メートルも長くなりましたが、
橋自体はまったくの無傷であり、震災後点検をし、
1か月ほど後には通行可能 工事再開になったとのことです。
(修正しました、教えてくださった方ありがとうございます!)


そして、その日本の高い橋梁技術は海外でも利用されています。
そのごく一例を見てみましょう。

テレビや掲示板でも幾度となく話題にとり上げられている大変有名な話として、
パラオに架かる橋(通称:日帛友好橋)がよく挙げられます。

この橋は当初韓国によって架けられましたが崩れてしまい、
日本のODA政府開発援助により約30億円をかけ、
新たな橋を無償で架ける事になりました。
これは当時のパラオの国家予算を上回る金額だったとのことです。

このあたりの話は多くの方がご存じかと思いますので、
詳しくはwikipediaにて。


この橋は日本の鹿島建設が手掛けたので現地の方々は 「カジマ、ありがとう」 と言う言葉を覚えたり、
現地のガイドさんもこの橋の案内になるとすごく嬉しそうに話したりしたそうです。


しかし、この橋で日本とパラオの友好が急激に深まったわけではなく、
パラオはずいぶんと昔から親日国家と言われていました。
その理由は、古くから植民地とされてきたパラオの悲しい生い立ちと
パラオの日本統治時代が鍵を握っていました。


日本とパラオ ~歴史を越えた友情~  携帯用動画


以下、この動画の文字部分の書き起こしです

パラオ共和国

パラオの国旗は日本の日の丸をモチーフにしたデザインである。

1986年(昭和61年)には天皇陛下御在位60周年の奉祝式典が行われ、
その後、堤灯行列も行われた。

パラオ諸島は大東亜戦争では激戦地となった場所で、
日本軍はパラオと日本を守るため、戦史に残る激戦を演じ、
多くの日本兵がこの地で玉砕した。

パラオの人々の親日感情は今も強く、パラオを訪れる日本人にはとても温かい。


パラオ共和国のあるパラオ諸島は、第一次大戦のとき、
それまでドイツ領であったものを日本が解放(大正3年1914年)し、
その後31年間、委任統治を行った場所である。


日本は委任統治となったパラオに、稲作や、なす、きゅうりなどの野菜、
サトウキビ、パイナップルなどを持ち込み、
缶詰やビールなどの工場をつくり、雇用を創出した。

道路を舗装し橋をかけ、電気を通し、電話を引くなどのインフラ整備も積極的に行った。

また、日本は、パラオの住民全てに対して、数種の疾病に対する予防接種を受けさせ、
公教育をパラオの子供達に受けさせている。



現在のパラオの国定の歴史教科書では全462ページ中36ページが日本統治時代にあてられ、
章には「日の丸の旗のもとに」とタイトルがつけられている。
日本のパラオ統治の経緯だけでなく、日本の行った学校教育、
産業・経済活動等についても詳しく述べられている。


学校教育は、当時の日本式の教育がそのまま持ち込まれ、非常に厳しかったが
「一年生ですらかけ算九九を暗記することができた」 等、
教育水準の高さも語られ、経済については
「日本統治のもとで、パラオの島々の経済発展は産業の強化をもたらした」 と記されている。



しかし、日本の統治時代も、アメリカ軍の来襲と共に幕を閉じることになる。

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ……」
お気に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。


太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。

日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

仲間達と話し合った彼は代表数人と共に 日本の守備隊長のもとを訪れた。
「自分たちも一緒に戦わせて欲しい」 と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」


日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。


先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと…

「サクラサクラ ペリリュー島洞窟戦」
松阪 船坂弘 著 毎日新聞社 より

(寝ぼけていたようです・・・修正させていただきました、ご指摘ありがとうございます!)


ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、
米軍の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった
最高の戦闘損害比率(約四〇パーセント)を甘受しなければならなかった。
「ニミッツの太平洋海戦史」
チェスター・W・ニミッツ 著 恒文社 より




ここで特筆しておかねばならないことがあります。

ペリリュー島には、それまで現地住人が住んでいました。
島民は白人の統治と日本時代を身をもって経験しているので、
大人も子供も、日本軍と一緒に戦う決意を持っていました。

しかし日本軍としては、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、
船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して全員をパラオ本島に退避させました。

この誠意が通じたのか、戦いが終って帰島した彼らは、日本人の遺体を見て泣きました。

「アメリカ人は、日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。ここに、征服民族の本性を見る」 として、島民はこぞって日本軍の遺体を葬りました。日本の人達がいつ来てもよいようにと、その後も墓地の清掃に心掛けました。
「世界に生きる日本の心」
名越二荒之助 著 展転社 より



日本の敗戦によりパラオは、1947年からアメリカの信託統治領となった。

アメリカ人は現地に想像以上の日本文化が根づいていることに驚き、
日本的なものをすべて破壊した。みんなで耕した畑は掘り返され、道路もはがされた。
南洋神社が取り壊されたのを悲しみ、日本神道にちなんだイシドウロウという名前を子供につけた人もいた。


アメリカの信託統治時代、歴史の授業ではアメリカで作られた教科書が使われ、
日本人による 「パラオ人虐殺事件」 などが掲載された反日的歴史教科書もあったが、
パラオの年長者が 「そんな話はない」 とにべもなく否定したため、
この疑わしい史実はパラオには浸透しなかった。



パラオ共和国に限らず、日本の統治を受けたことのある南洋諸島の島々は、
今も変わらず親日的である。



クニオ・ナカムラ パラオ前大統領は、
「新しい歴史教科書をつくる会」 に賛同する署名をしていて、
大統領専用の便箋に記された署名文書には、心に迫るコメントが添えられている。


<<日本国民と日本人が 「どの民族も例外なく持っている自国の正史を回復すべく」 努力している活動を支持する。この活動が実を結ぶことは、日本の未来の世代をして、偉大なる自国の歴史、伝統、文化に目を見開かせることに積極的な貢献をなすだろう。>>


パラオ共和国は観光収入で成り立っている国です。
海外旅行の際には、是非、親日で美しいパラオへどうぞ。


思ったより長かった・・・(汗)

ちなみに、動画冒頭で登場するパラオ国旗の起源については
現地の方々は日の丸との関連を否定する場合が多いようです。

本当だとしても他国の国旗の起源を自分たちから主張する事はしたくはありませんし、
命がけでパラオの方々と接した先人たちを侮辱する行為につながってしまうかもしれません。
私たちがすべきことはさらに努力し、心から言ってくれる友人を持つことではないでしょうか。

それに、国旗の話は なし にしても、
パラオと日本はお互いに好意を寄せているといえそうです。

パラオではその後のアメリカによる反日教育でも有識者が真実の声を上げることで広まらなかったなど、
日本が学ぶべき姿勢も多いと思います。

日本からの援助で購入されたコロールとの連絡船は、「YAMATO」と命名されている。また、ペリリューに桜は咲かないが、日本をイメージする「サクラ」という言葉には人気があり、スポーツチームの名前等にも使用されている。

引用元 ペリリューの戦い


上記動画で説明されていないこととして、
パラオのヨーロッパ統治時代はリン鉱石の採掘やココナッツ類の栽培を重視し、
現地のインフラや教育には無関心だったとのことです。
絞り取るのが目的なのだから
当時の植民地という考えなら妥当とも言えます。

それが日本統治時代になると、
パラオのインフラを整備し、学校を作り高度な教育を取り入れ
病院を作り産業にも力を入れました。

その結果、人口も2万人から5万人へ激増するほど
パラオの経済は急速に発展しました。

時代が違うので一概には比べられませんが、
ヨーロッパ統治時代ではヨーロッパからもたらされた疫病で
人口の10%しか生き残れなかったのとは対照的です。


そのため、パラオでは 「日本の統治時代が一番良かった」 という人が多く、
今でも日本を好意的に捉える方が多いとのことです。

変な意図は全くありませんが、パラオの宣伝みたいになってしまいました。
でも、海がきれいですね、パラオ。行ってみたいですね。

大きな地図で見る


今回は海外の雑誌などでも度々話題になる日本の 「無想吊橋」 に対する海外の反応でした。

海外の声として、渡ってみたい、という声が多かったのですが、
危険なため現在は通行止めとなっており、しかも付近には熊も出没するとのことなので、
絶対に渡らないようにしましょう
ちなみにこの動画は行きで吊り橋を渡りましたが、帰りも別の動画で渡るようです(笑)